R.I.P, and one more thing

何を書こうかあんまり考えつかないんだけど、今日書かないと多分ずっと書かないから書こうと思った。


巨星墜つ

2011/10/05, iPhone 4S(5ではない!)の発表を見届けたかのようなタイミングで、AppleがSteven Jobsの死を伝えた。
慧眼とカリスマでAppleをこんにちの地位にまで押し上げ、様々な意味で世界を動かした彼の死は、僕のようなApple製品ファンにとどまらず、多くの人に衝撃と悲しみを与えたと思う。

時間の問題だろうとは思っていた

癌を発症しその後も肝臓移植を受けるなど、Jobsが病魔に蝕まれていたことは周知の事実だった(今日の新聞で6月の彼の最後のプレゼンの写真を見たけれども、改めてみると驚くほど痩せ細っていた)。先日には健康上の理由でCEO職から退いていたし、そういう意味では多くの人が「近いうちに亡くなるかもしれない」という客観的事実を認識はしていたと思う。

それでも、いざ聞かされると彼の訃報は大きなショックだった。

製品を貫く哲学

僕はAppleファンだけれども、実はJobs自身についてはほとんど知らない。
Wikipediaに書いてある程度のことは読むし、基調講演で語った中身や逸話は雑誌とか人づてとかでよく聞く。けれども基調講演そのものの様子を動画で見たことはないから、それこそ「One more thing」なんてフレーズも自分の耳で聞いたことはない。
だから僕がJobsの考えとかを一番感じるのは、やはりMacであったりiPodといった製品ってことになる。

そのデザイン然り、提案されるライフスタイル然り、それに従ってバッサリ切られるインターフェース然り。
僕はそのバッサリ変更されるインターフェースや仕様に反発してソフトを追加したり機能を無効にしたりしながら使ってたんだけど、そのひとつひとつの裏側には、「コンピュータってのはこういうものだ」という既成概念に囚われずにMacとかiPhoneとかの製品を通じて素敵な体験を誰にでもできるようにしようとしている風に、僕は感じていた。

時にはAppleの提供するサービスに囲い込もうという意思が露骨に見えて辟易することもあったけどね;-)

Apple=Jobsであった今までと、これから

Appleの製品が世に出るまでにどのようなプロセスを経ているのかはよく知らないけれども、製品の仕様の一つ一つ、デザインの隅から隅までJobsが決定しているようなイメージを、僕を含めた多くの人が持っていたと思う(この記事の前項なんかはモロにそんなイメージに基づいてる)。
じっさい多くの面で実際Jobsが決定していただろうし、僕がさっき書いたような感じ方で、Appleの製品にこめられたメッセージはJobsのメッセージと同義であるように少なからぬ人に解されてきたと思う。

Jobsが存命でAppleのCEOであるうちはそれでよかった。でも彼はCEOを退き、いまやこの世からも去ってしまった。
これから先、Appleの製品はJobsのでなければTim CookのでもなくAppleの製品として語られていくだろう。そしてその製品の裏にあるJobsの哲学は、当然のことながらJobsのものとして語られることはない。
Tim Cookをはじめとする経営陣がJobsの哲学をどう継承していくのかは分からないけれど、Jobsの哲学=今までのAppleそのものではなく、なにがしろの変質をきっとしていくだろう。良くも悪くも。

長々と書いたけどけっきょく

Jobsに対してはRest in Peaceと言いたい。今まで素敵な製品と未来を沢山見せてくれてありがとうございました。

Jobsへの弔意を示すにはこれで全てなんだけど、"One more thing."
Appleにはこれからも先進的で素敵なユーザーエクスペリエンスを提供してくれることを願いたい。Jobsがいなくなることによる変化が不可避ならば、その変化によって「Jobsにも思い付かなかったような新しい未来」を見せて欲しい。そんなAppleの輝きを、これからも僕に(細かなところには文句を言ったりしながら)追いかけさせていただければ、Appleファン冥利に尽きるというものです。


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